本日より、5日ほど前(令和2年9月18日(金曜日)頃)パートナーの陽子先生が、近所の畑で彼岸花を見つけた(近所というのは、愛知県名古屋市天白区)いうので、さっそく行ってみましたら、普通の赤い彼岸花が、6本ほど群れになって咲いていましたが、その後三重県方面、知多方面に行ってもまだまだ全然彼岸花を見つける事はできませんでした。ニュースなどによると、今年はもう一段寒くなってからだそうで、名古屋辺りは、あと1週間ほどで見られるのではないかとの事でした。それで昨日(9/22(火))秋分の日に三重県の、国道1号線沿いの、桑名市長島町又木(またぎ)にある、いつもたまに散策に遠出する、ちょっと穴場的な川沿いのウォーキング・パスを歩いておりましたところ、なんと、彼岸花のつぼみ(写真参照)を発見しまして、ビックリです。ご周知かもしれませんが、彼岸花には、葉っぱというものがほとんどなくて、茎1本の真上に、ドーンと花が咲くのです。そういう無気味な花で、突然土の上に、にょきっと表れているので、つぼみの状態での出現を見たのも新鮮で嬉しかったです。細長いつぼみが縦に割れていて、中にザクロのように赤い花芽?が見えます。そしてその隣に、恋しい、恋しい、クリーム色のヒガンバナが、数群れ(画像参照)美しく咲いていました。ついでに去年、知多半島や、緑区などで撮影した白色と黄色のヒガンバナのお写真も掲載しますが、昨日画像撮影したのは、白なんでしょうか?黄色なんでしょうか?あいのこのクリーム色の感じですわなも。
思えば、彼岸花は、わたくしにとっては非常に悲しい花なのです。元々お彼岸の花なので、これを見たからと言って、人生ハッピーっ!!と喜びなさる人は、非常に少ないのではないかと思いますが、なぜ私にとって悲しいかというと、それは、彼岸花自体に意味があるのではなく、夏の終わりを決定的に“告知”しているからです。わたくしは、夏が大好きで、大好きで、もう能登半島の雄大な海岸と打ち付ける夏の波を想うと、それだけでもう涙が出るほど嬉しく、懐かしく、その時が夏真っ盛りであれば、今夏の終焉を悲しく思い、冬ならば、来たるべく来夏を待ち焦がれるのです。秋や冬は“忍耐”や次なる夏に向けての雌伏の季節という辛い季節なのです。夏が過ぎる度に、『あ~、もう来年の夏にはこの世にいない、死んであの世に行ってしまう人は、何人くらいいるのかな?』等といつも思います。と言いますのも、小学生の頃、家庭環境が複雑で、両親と仲良く旅行した事など皆無でしたので、いつも夏休みになると、縁側に出て、雑草がぼうぼうに生えていた小さな庭を見て、宿題の課題の冊子や教科書で見た、例えば東北地方の山深い深山幽谷(しんざんゆうこく)の景色などを思い描いて、大人になったらこういう所に行きたいな~と切実に未来に思いを焦がしていたのです。なので、その反動でしょうか?夏になるたびに、能登半島ひとりぶらり旅(わたくしのYouTube『流心(るしん)・能登半島紀行』参照)や、東北の秘湯巡りなどをするようになってしまったのです。なので、夏はわたくしにとって、本当に大喜びの楽しい季節なのです。先ほど記述の、小学生や子供の頃は、東北どころか、名古屋市内を出た事すらありませんでした。そういう理由から、とにかく、わたくしが一番元気が出るのは、毎年7月20日あたりから、お盆直前の8月10日くらいまでの、ほぼ20日間なのです。なぜならば、7/20に大体学校が夏休み開始ですし、お盆が近付くと、もう夏もあと少しで終わりだよとの告知だからです。そして、それでも、やり忘れた課題や、行きたかった旅やひとり冒険歩きなどを後手後手に、夏の終わりの時期に押し込んで、頑張って、気が付くと、9月10日くらいになっています。もう本当は秋に突入しているのですが、残暑やら何やらで、まだまだ夏だと思いこむ事は出来ますが、そうです!ところが、ところが、悲しい事に、もう彼岸花を見たら、これは、もう間違いなく夏ではなくて、秋だよと宣言されているので、大好きな夏が終わったことを明確に“宣言”されて、実感して、本当に悲しく、つらく、寂しくなるのです。そして、彼岸花、これは曼殊沙華(まんじゅしゃげ)とも言われますが、また2週間ほどすると、本当に無気味にパッとその姿が消えるので、それはそれはとても無気味な花です。
では頑張って、また1~2週間のうちに、赤い彼岸花はもとより、白い彼岸花、黄色い彼岸花、青い彼岸花…あ、いやいや、これはないでしょう、そういう色々な彼岸花の映像ゲットに、ドライブに行き捲りたいと思いますので、お楽しみに!!
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