(138)人を殺すという恐ろしい事件(その4)

世の中の出来事
人は外出したら、敵が3人はいるかもね。命狙われる??

さて、前回までの第3回まででは、叔父による放火事件で小学生の兄弟が焼死した事件や、愛知県弥富(やとみ)中学校で同級生が刺殺された事件などについて、感想や意見などを述べましたが、最近は特に駅とか皆様がたくさん集まるデパートのような公共の場所で、刃物で急に襲われたりとか、そういう事件が後をたたないように思えます。また以前も書きましたが、例えば離婚したDV(家庭内暴力)夫による報復のような殺人事件…こういうものがすごく多発する世の中では、安心して外も歩けないような有様でとても 恐ろしくて身震いさえ覚えるほどです。

しかし、そう思う反面、また別のところで述べた気もしますが、例えばこれが大自然の中であったならば、 蛙(かえる)とかが散歩をしていたとして、大きい鷲(わし)のような鳥が空から、その蛙を狙ってさっとさらっていって、命が無くなったり、そういうようなこともありますので、人間の場合でも、そもそも外を歩いていたら、親切な人とかが何かあった時に手助けしてくれる、きっと助けてくれるだろうという、その思い込みこそ、本当はおかしいのではないかと思う時もあります。人間は半分くらい心の中で、そういう、相互扶助というか、お互いに助け合って協力することを、世の中に期待していることもあるような気がします。

理想的にはそういう面もありますけれども、それでも先ほど述べた大自然の例からすれば、そういうことはむしろ人間社会における。 珍しい現象という風に理解することもできるので、そういう相反する面もあることもまた別のブログで述べたいと思っていますが、今回はさらに発展して、他人を憎むとか他人がどの程度自分を敵視しているとか、殺意を抱くとか…そういうことを少し述べてみたいと思います。

人間は何故いがみ合うのか? 確かに私も若い頃は血気盛んで、いろいろ相手を攻撃したり、まあ学生時代なども、色々戦ったりしましたので、えらいことは何も言えませんけれども、年を取って落ち着いてくると、どちらかというと、みんな平和に…(まあ世界はどうか分かりませんけど)日本だと当面は戦争もないし、食料事情もそんなに悪くないので、皆で戦い合っ足り、競い合って奪い合ったりして、何かを勝ち取るということをする必要も無く、みんなで仲良く力を合わせてより良い政治とかより社会を作っていけばいいと思うのに、なぜいろんな意味で犯罪をして他人を殺したり、ネットのサイトで詐欺をしたりとか、そういう社会の闇、他人を陥れて自分の身が良い思いをしようとする“闇”があるのでしょうか?

まあ、多くの知識人とか?、きちんと生きている人間であれば、そういう風に周囲と協調して、環境の悪い人がいれば、ちゃんとその人に親切に環境の良い状態にしてあげようと努力しているとは思うのですが、 それにしても、一部の人間はどうして悪意があるのでしょうか?

これはやはり本能的なものも大きく関係していると思います。こういうことですね。人間に限らず、生物はやはりこの自分の種族を残すことが生きる大きい目的です。そうじゃないと絶滅して自分の種族が居なくなってしまいますからね。例えば、種族を残さなければニホンカモシカというそういう種類のカモシカはいなくなってしまいますからね。なので、そういう意味でしっかり種族を残さないといけない訳ですが、その時にただ単に残すのではなく、その残った種族といいますか、生まれてこの世に出てきたそれぞれの個体に関しては、やはり強いものが残るようにしておかないと、弱いものばかり残っていたら、また多くの面で、他の種族とか他の生き物との戦いに負けて、次の世代で滅びてしまう可能性が強い訳ですから、できれば生まれてきた個体も強いものが望ましいということです。そうすると、やはりその中でいじめとか色々な淘汰(とうた)が起こる訳で、戦いが発生して、あるものはいじめられて死んだり、またあるものは強くなって 逆境の中を生き抜く…というふうになって、そうするとそこにやはり戦いとか相手を蹴落とすということが生じますので、いかに平和な社会とはいえ、弱いものは淘汰されてやっつけられてしまいます。仕事においても、あまりできない奴はできるやつに蹴落とされて職を失ったり、日の当たらない部署に回されたりしてしまいます。そしてやはり強いもの、弱いもののいがみ合いの中で、それは極端な場合、殺人となるかもしれません。なので、そういうやはり本能的なものが大きく原因していると思いますので、やはり重要なことは、そういうことをよく理解して、そしてやはり…まあ、いろいろ意見はあるでしょうが、自分がそういうふうに淘汰されるべき弱い人間だなということを、弱い人間は自覚して強くなるように努力するということが重要だと思います。

もっと具体的に言えば、いじめられっ子は自分がいじめられているということを認識して。 自殺とかそういう方向に逃げるのではなく、もっといじめっ子(加害者)に面と向かって、戦って道を切り開く方向に行くべきだと、わたくしはひとつの意見として思っております。 (この項は、本日の第4回目を以って終了いたします。)

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