フェイスブックなんかにも書きましたように、『名探偵ポアロ』の最終回見ましたけれども、最終回は『カーテン』というタイトルです。これは、最後にカーテンを引くというような意味があると言われたりしていますが、小節的にも素晴らしい攻勢で、何とポワロが初めて、ヘイスティングス大尉と事件を解決したのが、このスタイルズ荘という、大きなマナーハウスのようなお屋敷なのですが、20数年して、また最後に、このスタイル荘にやってきて、そこで再度殺人が起こるのです。ポワロは足も悪くなっていて車椅子に乗っています。
なんとそこで、ポアロは○○を犯してしまうのです。これはもう本当に、冗談ではなくて、わたくしの人生最大級のショックの1つということで、まあ、そんな風に書くと、たかが小節の成り行きの展開が、実際の生きた人間の精神に、そんな最大級のショックを与えるなんて、ありえないだろうと嘲(あざけ)り笑われそうですが……全然あなたの人生、苦労してないのじゃないかとかで言われそうですが、そうでもないのですよ。わたくし、別途このブログにも書いていますように、父親に無理心中で殺されそうになったということもありますけれども、まあそれはショックというよりも、ある意味必然的結果として非常に納得できるものがあるので、全然あまりショックとは考えていませんけれどもね。
それはとりあえず置いといて、関連して思いますに、エラリークイーンという作家がいます。ここ最近、子供返りと言いますか?『エジプト十字架の謎』とか、『オランダ靴の謎』『ローマ帽子の謎』、そして日本に関しては『ニッポン樫鳥の謎』などという国名シリーズで有名な作家で、これらをわたくしは、小学生の6年生くらいの頃に、友人の勧めでしっかり読んでいるのです。
なので、それからずーっと何十年と経過した今になって、また読みたくなったのは、子供返りという訳なのですが、これらのシリーズとは別に、当初違う名前で書いていたのではないかと言われている、(どうでしたかね?聞いた範囲なので、確証はありませんが…)『X(エックス)の悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』というのがあって、これらはエラリー・クイーンという探偵が出てくるのではなくて、別の探偵として、シェイクスピア俳優の年老いたドルリー・レーンという老人が名探偵役になって事件を解決してゆくのですが、この『レーン最後の事件』という、この4部作の最後の小説において、犯人を○○するわけなのです。
それから、同じ時代で、不朽の推理小説の名作と言われているヴァン・ダインの著作『僧正(そうじょう)殺人事件』というのに登場するファイロ・ヴァンスという、これまた若い新聞記者のような探偵がいらっしゃるんですけれども、その人も最後で真犯人を○○するわけです。しかし、この探偵の○○の場合は、咄嗟(とっさ)の機転で、犯人が毒薬を入れたワイングラスを取り替えるということで、犯人の方にそのワインを飲ませてしまうという、いわばひとつの意味では避けられなかった必然ということにもなっているわけです。なぜかというと、真犯人や、今現在犯人と誤認されているふたりが、ワインを飲む直前に、そのグラスに毒が入っている事をみんなの前で指摘して、説明したとしても、それは、誤認されている人物が、観念して自殺の為に入れたという言い逃れの方が、皆に信用されやすいわけなので、そうすると完璧な真犯人に対してはこれ以上追究することができないという状況だったので、とっさの奇策として、“真犯人が誤認の犯人に飲ませようとして、その誤認の犯人の前に置いた毒入りグラス”と、“真犯人が自分用に於いた、毒が入っていないワインのグラス”をパッと判らないように取り換えたのです。瞬間的な判断で、そのまま、真犯人が無傷で生きていて、犯人と思われていて実際は違う方の人が、毒を飲んでしまうような状況を、緊急的避難的な措置として、やむなく実行して、そして結果的に、〇〇という事になってしまったのです。
まあ、小説ですからね。そこらへんはどうとでも書けるわけですけれどもね。(第1回目終了。第2回目に続きます)
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