(173)ザ・死に学…これからは自分の死をデザインする時代⁉(第4回目=最終回)

世の中の出来事
自分の死をデザインする時代

さて、今回、第3回目まで書きましたことを下地にして、最近思うことは以下のようなことです。例えば、世界中の現象などを逐一記録できるようなスーパーコンピューターがあるとします。もちろん、そんなものが近未来にできるとは全然思えませんが、多少想像のSFの世界です。そういうすべての現象を…宇宙の全ての現象というと大げさですが、地球上のすべての現象、すべての人間の行動を逐一記録したり、分析するようなコンピューターができる、存在するとすれば、偶然はもはや偶然ではなくなり、必然の積み重ねということがよくわかるようになるのではないかと思います。

例えば、こういうことです。ある人が、交通事故…また別のブログで述べたいと思いますが、『右直事故(=右折車と直進車の、交差点での事故)を起こしたとします。または起こすようなことになる状況にあるとします。

それは偶然ではなく、ある意味必然の結果なのです。つまり、その右折する自動車の運転手は、ちょっと仕事が積んで2日ぐらい徹夜に近い状態が続いて、非常に神経が疲れている、そして注意力も散漫になるっているとします。かたや、直進してくる、荷物をたくさん積んだトラックの運転手の方は、これは元気がすごく良くて、頭脳も回転が速く、どんどん瞬時にその時々の状況をプラス思考で考えて、時間も短縮して荷物を届けようとしています。そして、交差点に差し掛かった時、疲れている方の運転手の疲労がピークに達して、ちょっと注意力が散漫になり、直進のトラックが来ているにもかかわらず、先に行けるだろうと判断して右折を始めます。トラックの運転手も元気がいいので、今のスピードを出していれば右折自動車が少し待ってくれれば当然直進が優先ですから、このまま行けるだろうと思って、そしてスピードを寧ろ今よりも加速アップして交差点にさしかかります。そして両者は衝突するということになる訳ですが、これは今書いたようなことからすれば必然の結果ですし、前述のようなコンピューターがあれば(もちろん仮定のお話しなので、もちろん今はそんなものはありません)当然、そのコンピューターは起こるべくして、その事故が起きるであろうことを予想できるはずです。

このように非常に遠い未来では、人間とか生物、自然現象すべてが原因として次の結果が予想できるような、もうそういう意味では『未来は定まっている』…というような世界になるのではないでしょうか。ここまで推敲済み未来が定まっていると言っても、それは神のような超越した存在がすでに未来の出来事を決定しているという意味ではなく、偶然というか必然の積み重ね、現在の出来事の積み重ねによって、必然的に、当然の結果として、未来の出来事がある程度決まってしまうということです。

これは別に遠い将来のSFの話ではなく、今ももちろんある程度コンピューターも進んでいますので、例えば『医者がこのような生活をあと3年続けていくと、あなたの肝臓に破綻がきますよ』などと言うのを、もっと精密化しただけに過ぎないわけです。

さて、ここでそういうことを考えると、以前も書きましたように、AI(人工知能)がそれぞれの人間の死ぬ時期とか事故とかをある程度予想できるという近未来が待っているように思いますが、それを逆手にとって人間自身が、AIを使って色々な現象を引き起こして、自分の死をもコントロールできるような…そういう未来が将来くるのではないでしょうか。もちろん、そういう風なコントロールされた死を望まない人間もたくさんいるとは思いますが、犯罪を犯す人間も多いわけですから、犯罪とはまたちょっと異なった趣向ではありますが、AIに自分の死をコントロールさせ、例えば3年後に自分は癌で死ぬように仕組むというような…そういう体験をしてみたいというか、実際死んでみたい…そう思えるような人間も世の中にはいるのではないでしょうか? それか確かに実体験として、自分から望んで癌になるなどというのは、たぶん誰も臨まないような、苦しい死に方だろうと思うので、癌になるのではなく、5年後の、例えば3月にぽっくり自分は死にたい。安楽に突然死にたい…。そのためにはどのような生活を送ったらいいかというようなことをコンピューターに諮問して、それを実現させるような人間が出てきても不思議はないかと思います。いずれにしても、科学やAIが人間の死を“コントロール”するような時代が、もうそこに迫っているように思います。(この項は今回で終了)

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