(306)能登旅行の車中で深夜に思う事(第1回)

生活雑記

これは今年の能登旅行ではなくて、既にもう1年前の震災の年の5月に、旅行中に車中で録音したものを書き起こしております。お楽しみくださいませ。

今ね。今は、令和6年5月8日(水曜日)もう深夜12時45分だから、正確には5月9日の木曜日ですね。能登に行きます。考えてみれば令和6年・・・今年の元旦の能登半島のあれは正確には何て命名されたのかな…能登半島大震災??…があって初めての能登半島行きですね。いずれにしろ、ゴールデンウィークが過ぎてからじゃないと、道中の高山とか白川郷の傍の国道に、雪とかが残っている場合があるので、4月などは絶対、行けませんからね。

まあ、いつもながらね、能登に行く時は本当にこう徹夜なので、神経がねピリピリして…なんかすごい一番ある意味神経が覚醒するというか、この生きていたり、話している1分1秒がね、まあ、リアルに充実して…略して『リア充』かなんか…リアルに充実して感じられるんだけれどもね。ちょうど行く時にね。御器所(ごきそ)小学校通りました。わたくしはあの名古屋市昭和区の御器所小学校出身ですから。ちょうどね。友人の顔ぶれを想い出すと、とても懐かしい…小学校時代、そんなに友人もいた訳ではないけれどもね…なので、そうそう皆で遊んだ記憶もないのだけれども、そういつも孤独なのでね。そんなには友人はいないんだけれども。まあでもね、クラスメイトだね、そういう御器所学区を今、こうやって自動車でクルージングして、ずっと通ってきましたけどね、なんか、中学校も通りましたけどね…同じく、名古屋市立桜山中学校…通ったけれども、小学校同様にとても懐かしい感じしました。

わたくしもね、本当に、ひょっとしたら死期が近いのかな…

ややこしくて済みません。これはこのエッセイの5月ではなくて、その年(2024年)の秋の旅行なのですが、ほぼ同じような心情ですから、お楽しみください。こんな感じで、わたくしは、深夜ひとりぶらり旅が大好きです。

ああ、今『タンメンニュー玉屋』という看板ですね。これは主税町(ちから・まち)ですが、これがねえ、とても変なのですよ。東区にあるのですが、主税町で書いて、『ちからまち』なんて変なふうに読むのですね。そして、この『タンメン・ニュー玉屋』、これラーメン屋さんかな?食べさせてくれるのかね。それとも麺を買うのかな?

ちょっと余分な話になっちゃったけどね。本当にね、もうなんか懐かしいというかね。小学校の時は、昭和40年代だよね。昭和××(秘密)年生まれですからね。まあ昭和40年とかね、昭和50年。大学の学籍番号が、530……何とかですからね。その時に大学行ったんですね。

もうあの時代から、多くの時間と年月が経過して、本当に死期が近いんじゃないか?と思ったりするんだけどね。本当にね。(第1回目はここまでです。皆様が読むときに苦痛にならないように、結構、各回は短めにしております。1回分が約800~1,200文字位です。では次回第2回目をお楽しみにお待ちくださいませ。)

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