はい、わたくしの実家は、名古屋市昭和区にあるのですが、実家という訳で、生まれたときから高校生、大学生、そして結婚するまでの27年くらい(ということは、約27歳で結婚??)住んで毎日の生活をつづった場所ですが、かなり狭くて、全部で、18坪くらいです。高校生の時に父親が喉頭ガンで、この実家でなくなりましたので、その後は母親と二人で、約27歳の時まで生活した場所です。わたくしが結婚して家を出た後も、母親は一人ここにず~~っと住んでいて、今から12、3年前に、やはりケアマネージャーさんも、一人暮らしはなかなか大変ということで、名東区の方の小規模多機能の老人ホーム?に入所しました。そして、このブログにも何回か書いたように、母親が一人で住んでいた後期には、携帯に電話しても出なかったりで、もう倒れているのでは?と、何回急いで実家まで見に行ったか分かりません。(天白区から昭和区ですから、自動車で約15分ほどです。)そういうこともあり、多少認知症的でもありましたので、老人ホームに移ったわけです。(しかしそこでの生活費は、約ひと月20万円になり、それはかなり捻出に苦労しました。ま~そのお話はまた別のところでするとして……)それで、母親は30年ほどその実家で一人暮らしをしたという事で、その期間中に、ポメラニアンの『コロ』も、わたくしが中学校の時、野良犬で、首輪が成長して首のお肉にめり込んでいるのを切って助けた後に、家に居着いた、雑種の『シロ』も亡くなりました。そして、今から約12、3年前に母親は、前述のように“施設”に入り、その後は当然実家は、“無人”となり、かなり荒れ放題でした。その母親も4年ほど前に、真夏のお盆のころの、わたくしが司会をする『サマー ボールルーム ダンス フェスティバル』の日曜日の未明に死亡したと施設から連絡がありました。それで、当然更に住む人もいないまま、時々わたくしが掃除や、小さくて狭い庭の草取りなどに行ってはいましたが、ドンドンぼろくなり、例えば屋根の瓦が落ちて通行人にけがをさせるのではないか等という心配もありました。
それが、この度というか、もう去年の冬のことですが、めでたくその建物を“解体”することができました。しかしこの実家というのは、別に幽霊屋敷ではないのですが、わたくし自身の生活の場としては、その成育歴の中で、両親の仲の悪さ、父親の鎮静剤中毒で、ほとんど父親はきち〇い(=今では使っていけない言葉)でしたし、母親も一時家出していましたし、母親も晩年は2階で首を吊ろうとするし、まさに「呪われた実家」という雰囲気でした。
まあ時々いろいろなところで話しているように、小学校6年か中学1年のときでしたか、突然父親が『ゴキブリを殺すぞ』ということで窓をガムテープのようなもので目張りをして、そしてガス栓をひねって、都市ガスを放出するという行動に出たのです。そのころ父親は鎮静剤中毒で、一日中、横になったリボーッと床に臥しているような生活で、しかも時々『赤い猫が家の中にいる』とか『誰かが石を投げて玄関のガラスを割った』と言うのです。玄関のガラスは割れているのですが、どう見ても、中からものをぶつけて割った状況なのです。(そこらへんはわたくしも、その当時から横溝正史や江戸川乱歩の分厚い難しい全集を読んでいましたので、推理できました)母親も、家出して家に居なかったのではないかと思います。わたくしは、本当にそのころ純情で幼稚で世間知らずでしたので、(実は小学校も過保護で合計2年間分くらいは欠席していたと思えますので、世間的な子供としての常識もほとんど無いのです)一見、ゴキブリを殺すという理由を本当に信じてしまって、『あ、そうなんだ』と思って、『じゃあ一緒に寝るぞ』と言う父親と一緒に、一回布団に横になったんです。でもガスはシューシュー噴き出すし、『寝ていたら、オラたちもゴキブリと一緒にお陀仏になるのでは?(急にクレヨンしんちゃん調??)』とも思え始め、それに、『こんなガスで、家の隅とか、畳の下とかに隠れているゴキブリに効き目があるのかいな?』とも思え、段々不信感が募ってきました。その割には父親は何も言わないので、 考えてみるとこれはそうではなくて、ひょっとしたら一緒に死のうと(心中??)しているのではないかという風に思ったんです。そういう時になぜか涙が出てきて、少しだけですが泣きながら『パパ、だめだよ』と言いつつガムテープを剥がした覚えがあるんですけれどもね。そんな無理心中に巻き込まれようとしたりとかですね。確かに精密に言えば、父親はわたくしを殺そうとした殺人未遂ですよね。でも、まあ、その後何もなかったというか、少し父親の方が、何せ、合計にすると結構長く30分ほどガス漏れの中で寝ていたのですから、ガスのせいで体調を崩したようで、寝込んでいましたが、わたくしは元気そのもので、生活を続けました。(次回の第2回目に続く)
コメント