(93)首吊りに失敗した母親…呪われた実家も遂に更地になる(第3回目)

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首吊り自殺に失敗して落下した母親

ちょっと、先回の第2回目から、日数が経過したので、前のことは皆様忘れたと思うのですけれども、とにかく、わたくしの実家では、父親は鎮静剤中毒(それこそ麻薬中毒のようなものですわ…)で母親を殴ったりで、母親は家出中だと言うことなど、そして父親は、ゴキブリの駆除を名目に、家のガスを放出して、わたくしに一緒に寝ようと、それこそ、これは“心中”だという風に、殺されそうになったということを書きました。そして、また父親は、赤い猫や黄色い猫が家の中にいるというのですね。明るく陽気で、色も極彩色を好むラテンの国、メキシコでもあるまいし、そんなカラフルな猫が家の中にいる訳はないのですが、父親は見たと言って譲りません。のみならず、自分で玄関のガラスを割っておいて、外から誰かが石を玄関のガラスにぶつけて割ったと言うんですけれども、あの推理小説の展開じゃないのですが、どう見ても内側から石をぶつけて割れたようになってるんです。だから、父親が自分自作自演でそういうことをやってるんですけれども、言い張って聞かないのですよ。やはり端的に言えば、頭がおかしくなっていたんでしょうね。精神病と言いますか、キチガイです。でもわたくしそういう親の子供ですからね。もう既にその時点で、心は壊れているわけです。(今現在はその時期からもう既に、40年以上は経過しているので、わたくしの心の壊れ具合も半端ではなくなっていますね……)で、そういう父は、いつも鎮静剤中毒でふらふらに近いので、家の中の床板などを踏んで滑って転んで頭をガーンと打ったりするとかもしょっちゅうなのです。でも、とりあえずは血も出ないし、何も無いのでそのままにしておきます。今なんかですと、それこそくも膜下出血とか硬膜下出血になったのではないかと思っていますけれど、別にそういうこともなかった様でした。

でもそういうことが子どもの前で起こるということは非常に恐ろしいことですね。そういうことが日常茶飯事なので、世間体も本当に恥ずかしくて、友達を家にも全然呼んだりできませんでした。

そして、わたくしは長じて、京都大学の数学科を受験したのですが、落第しまして、結局愛知教育大学の高校の先生の数学教程に学ぶ訳です。そして、大学院のようなところを卒業して、最初に、私立東邦高校に非常勤講師として勤めたり、その後、愛知県名古屋市に正式な数学家教諭として採用されまして、最初の赴任高校の名古屋市立緑高校で教壇に立ちました。その後、この教諭職は、公務員でだいぶん熱血先生などと持ち上げられて、わたくしは大好きだったのですが、5年ほどで退職して、競技選手として、社交ダンスのプロフェッショナルの方に転職いたしまして、そしてそれもン10年経過しまして、以前もこのブログに書いたように、4年ほど前の、愛知ボールルームダンス協会主催の『サマー ボールルーム ダンス フェスティバル』の当日の未明に、母親が亡くなりました。ちょっと急に早送りで説明を省略したような状況になりましたが、結局高校2年生の時に、上述の父親も喉頭ガンで亡くなり、それからは、母親とふたりでこの実家に住み、わたくしがダンスパートナーの陽子先生と結婚して別居したのを機に、20年以上、この実家にひとりで住んでいたわけです。

これからするお話しは、今から5、6年ぐらい前ですけれどもね。実家の2階の、天井近くにある大きい梁(はり)にですね、古い家ですからね、大きい横に張り渡した天井を支える木の一種と言いましょうか、梁(はり)ですね、それに、母親が着物の帯のようなものを巻いて、首を吊ろうとしたということがありました

恐ろしいお話しなので、少しだけ詳しく顛末を述べさせていただきます。何せ、年齢の高い方は、死を急ぐこともありますので、皆様の家庭にも、十分に起こり得る事態だと憂慮しています。まあいつも書いていますように、年老いた母親が実家にひとりで住んで生活していて、息子のわたくしが外で暮らすということはなかなか大変なことではあります。母親はマイペースで、少しは認知症が入っていますが、それはそれで今まで通り同じ場所で、同じ生活様式で暮らした方が、母親本人も非常に楽なので、そうなってはいますが、こちらとしては、以前のブログにもさんざん書いたように、携帯電話の返事がなければ、倒れているのではないか、既に冷たくなっているのではないかと、本当に気が気ではありません。いちいち早朝だろうが、日中だろうが、深夜だろうが、実家まで飛んで行って、安否の確認をしなければ落ち着きません。また、老人の事とて、冷房の使いかたひとつにしても、暖房の使いかたひとつにしても、タイマーも操作できず、また。 年寄りにありがちな、暑くても全然クーラーをつけない、寒くてもヒーターもストーブもつけないのが不通です。ある時などは、それで猛暑の夏にぐたっとなって、たまたま急いで行った時にそれに気が付いたら、『もう駄目だ、このまま死ぬかもしれんで、救急車呼んで』というので、電話をしたりとか大変です。

それで、そんな母親から、一度珍しく夜間10時頃に、携帯電話に電話がかかってきて、ちょっと具合が悪い救急車を呼ぶかもしれんと言うので、また慌てて、実家まで20分程かけて飛んでいきました。そうしたところ特に異常はないのですが、ぐったりしているので、どうしたの?と尋ねたら、ちょっと転んだとか、要領を得ないことを言っています。それと、なんとなく変に緊迫した感じがありましたし、動けないようなので、救急車を呼び、同乗して、近くの市立大学病院だったでしょうか、もう昔の事なのであまり細かく覚えておりませんが、そこに同行しました。

検査などしましたが、結局は大したことはなくて、入院もせずに済みました。しかし、ふと思い当たったことがあったので、母親を家に戻して休ませた後に、2階に上がってみました。そうすると、前述の大きい梁(はり)の所に幅が広い、着物の帯のような布が掛けてありましたので、母はこれで首を吊ろうとして失敗したのだと、直感的に理解しました。もしくは本当に死ぬつもりはなくて、首を吊って失敗したというパフォーマンスを演じて、そういう心を息子に理解してもらおうと思ったのかもしれません。いずれにしろ、首つりは失敗して、多分落ちて腰を強打したので、わたくしが駆け付けたときに、茫然自失の状態に見えたのでしょう。

何せ、書くと枚挙に暇がないので、書いていませんが、父親なども自傷して、鮮血が鼻の上の部分(目と目の間)からほとばしったようなこともありますから、たとえ、母親が首つりを完遂したとしても、またその母親の遺体を見つけたとしても、「ああ、ついにやったのか……」ぐらいで、あまり動揺は無いような気持でしたが、とはいうものの、何せ、失敗してよかったとは深く思います。もうその頃はだいぶん心が壊れていますのでね。その頃というのは、高校生の時ならいざ知らず、もう今から、5、6年前ですからね。そういうことがありました。その後別にその事は、わたくしの心にしまっておいて、母親に何をしたのだとかそういうことを一切質問することはありませんでした。まあ、あまり母親の心の真実も知りたくありませんのでね。まあ、そういう、多少パロディ的に言えば、“呪われた実家”がこの度、やっと解体され更地になりましたので、皆様、どうか買ってくださいませ。なお、“呪われた”と書いてはいますが、それは多少面白おかしく、このブログを読んでもらいたいためで、高校時代一生懸命勉強したのも、高校時代のガールフレンドのせっちゃんとの交換日記を書いたのも、色々なドラマがあって、楽しく人生の前記の大半を過ごしたのも、この実家なので、そういう意味では、非常に思い出深い、青春時代の“遺物”みたいな存在でした。(第3回終了 これで全部終了です)

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