(94)焼肉万歳‼(その1)

能登ぶらり旅
とてもおいしかった、岐阜県郡上市大和町の焼肉屋さん

さて、5回ほど前のブログで、再度能登半島にお忍びで(?)行ってきたことを書きましたが、その帰途、伊吾郎(国道156号線)の、岐阜県郡上市大和町(ぐじょうし・やまとちょう)あたりで、焼肉を食べています。焼肉美味しいですね‼

そういう訳で、今回は、焼き肉のお話しをしたいと思います。もう、“ダンスブログ”と銘記しながら、全然ダンスの話をしていませんが、また近々技術的な解説なども致しますので、楽しみにお待ちくださいませ。

さて、わたくしが焼肉を初めて知ったのは? 高校の一年生でしたでしょうか。そのころ、愛知県春日井市の方で、わたくしの異母兄が自動車工場を経営しているのですが、その従業員の方が、土曜日の夜などに、敷地内の従業員寮で、マージャンをするのです。5人くらいでしょうか、そこに住み込みの人が毎週するので、その時に、習いに来ないかということで、一緒にマージャンをしながら覚えたいと熱望して、名古屋から友人に借りた原付バイクを運転して通ったものです。皆様、ご存じでしょうかね、もう相当古い時代(と言ってもわたくしはまだ若いですが……)ですので、これらの名前はあまり覚えていらっしゃらないかもしれませんが、当時はモンキーとかダックスとかいう、やや小型の原付バイクが流行っていたのですけれども、わたくしの友人が持っていたのは、CX何とかいうような、結構多き漢字のバイクだったのを覚えております。原付なので、50ccなんですよね?わたくしはこれにの乗るときに、背が低いし脚が短いので、地面に届かずに、信号待ちの時など、歩道の縁の一段高くなっている境界の石に足を突っ張っていた覚えがあります。いつも歩道の縁石に足を引っ掛けて、あたかも自転車を乗るように振る舞っていたように思います。

今回は、少なくて、注文したのは、カルビ、ホルモン、小ライス、牛すじスープ(テールスープはメニューに無かったので、その代わりです)

まあ、とりあえずそれで春日井のその前述の従業員寮に行きまして、そこで徹夜で朝5時か6時ぐらいまで、原付で到着した深夜の0時頃から麻雀をやるのです。なので、僕は自分の家を出発して、友人にそのバイクを借りて、10時ぐらいから、名古屋市昭和区(の前回のブログにも書いた、今はやっと取り壊して更地になった)実家から春日井まで、いく訳ですが、バイクには全然詳しくなかったので、未だに運転方法がわかりません…( ゚Д゚)……。なんか友達に教えてもらっただけで書物で勉強しなかったので、アクセルやクラッチの操作などに全然詳しくなかったのです。ですからガソリンを入れるなんてことも全然頭になくて、一回などは、守山区あたりでガソリンが切れてしまい、春日井の従業員寮までの10キロくらいの道のりをバイクを押して歩いて覚えがあります。 途中、パトカーが寄ってきて、職務質問されましたが、優しいおまわりさんだったので、気をつけて行くんだよと言って解放してくれました。ただ、別にパトカーに乗せてくれるとか、そういうことはありませんでした。まあバイクまで一緒に詰め込めませんもんからね。

そんな感じで、いつも通りだらだらと書いており、なかなか“焼肉を覚えた話”に到達しませんが、その徹夜麻雀が明けて朝になると、飯でも食おうかということになって、車で20分ぐらいの深夜営業のオートレストランなんかに行って、カップラーメンなどをそこの自販機で食べていました。ある時、徹夜で更にお昼近くの午前11時頃まで麻雀をしており、やっと終わって、飯食いに行こうかということになって、その時に、小さな、街の中の焼肉屋さんに連れて行ってもらったのです。 簡単なコンロと、焼き網がテーブルに乗せてある焼肉屋さん独特のスタイルですが、そういうのを初めて見ました。確か、多くの家では、当時、焼き肉のことは、“朝鮮焼き”とかいって、そういうものを食べてに行ってはいけないんだよというふうに敬遠されていたような事を同級生から聞いた気がします。しかし、わたくしは、このようにして、自動車工場の従業員の方に教えていただきました。肉体労働の人は当時からそういう焼肉屋さんに行く習慣があったのでしょうね。それで、焼肉と言うぐらいですから、肉を焼くわけですが。 以前のブログで書いたように、小学校のの頃は、肉と言ったら、鶏肉で、例の『かわきも』の100g 10円くらいしか食べたことがないので、だいたい牛肉や豚肉もまともに食べたことがありませんでしたが、まあ、多分、そういう牛肉とか豚肉を焼くんだなぐらいに思っていました。それでもメニューなどを見たり、その連れて行ってくれた工員の人が注文した実物を見ると、今まで見たこともない、ホルモンとかハツとかミノ、とんちゃんという名前の奇妙なものもあり、そういう内臓などの名前も、当時は全然知りませんでした。 そういう種類があることも従業員の方に教えていただきまして、結構おいしかったので、たくさん食べた覚えがあります。そのインパクトが強かったですね。

それでもその頃は、高校生でしたので、焼き肉を食べたのはその時くらいで、その後はそういう機会がありませんでした。従業員の人はだいたい朝の6時ぐらいまで麻雀をやって、その後は、当然その前の晩から寝ていないので、朝はだいたい布団に入るので、さたくしは朝ひっそりとひとりで、またそこから昭和区の自分の実家までバイクで帰らなければならなかったので、そういう風に焼肉に連れて行ってもらうということは、たった一回あっただけでした。 まあ、そういう従業員寮などで、少し朝ね?をして休ませてもらったこともありますが、ある時、昼頃になって目覚めたときに、その隣の部屋の机の上にウイスキーがあったのです。確かニッカウヰスキーかサントリーの角瓶なんかだと思うんですけれども、琥珀(こはく)色の液体が入っていました。ひょっとしたらブランデーだったかもしれませんが、これはチャンスだと思ってキャップに一杯注いで、パッと一口に飲み干しました。そうしましたら、喉が火事のように熱くなりましたので、さすがにびっくりしました。 これはウイスキーのストレート飲みだということを後で知りましたが、この様にストレートはすごく強いので、それで皆様は“水割り”という風に水で割って飲むということも判りました。高校生の頃は、当然そういうのを飲んだことは無いのですが、小説などでその『水割り』という名前は知っていましたので、いつも、なんで水で薄めるのか、もったいない、そんな貧乏くさい、しょぼい飲み方をせずに、ストレートで飲めばいいのにと常々思っていましたが、ケチだから水で割るのではなく、ストレートで飲むと強すぎるから、水で割るのですね。(では、長くなりましたので、次回の第2回目に続きます。)

コメント

タイトルとURLをコピーしました